セオドール~オゼッラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 00:55 UTC 版)
「トニー・サウスゲート」の記事における「セオドール~オゼッラ」の解説
セオドール・レーシングとの契約により、1980年後半は同チームの翌年用車両を設計し、完成したセオドール・TY01はデビュー戦となる1981年アメリカ西グランプリでいきなり6位入賞したものの、これが唯一の入賞となった。 1983年に向けてオゼッラと契約し、オゼッラ・FA1Dの改修やオゼッラ・FA1Eの設計を手掛ける。オゼッラは資金力に乏しいチームで、FA1Eの開発にあたっては、それまでのフォード・DFVエンジンからアルファロメオ製V12エンジンにエンジンを変更するにあたって、新規のシャシーを用意する余裕はなく、リアサスペンションなどを含め多くをFA1Dから流用する形で設計することを余儀なくされた。FA1Eは1983年から1984年にかけて13戦にエントリーして、のべ20台走ったが、決勝を完走したのはわずか3度にとどまり、グスタフ・ブルナーからは1983年で最悪の車だと酷評された。
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