スーパー歌舞伎の成り立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 00:02 UTC 版)
「スーパー歌舞伎」の記事における「スーパー歌舞伎の成り立ち」の解説
スーパー歌舞伎の成り立ちについて、創始者である二代目猿翁(三代目猿之助)は、梅原猛とよもやま話に講じる中で出来たアイディアであったとしている。猿之助と梅原はたびたび演劇について討論し、おおむね以下のような結論にたどり着いた。 「江戸時代にできた古典歌舞伎の美意識や発想、演出法や演技術は素晴らしいが、物語は当時の世界観や道徳観による忠君愛国や義理人情的内容で、真に現代人の胸に迫るところが少ない。それに対しテーマ性のある内容を持つ明治以降の新歌舞伎は、近代劇的リアリズムを取り入れたため、歌舞伎本来の魅力であるべき歌(音楽性)と舞(舞踊性)に乏しく楽しくない。両方の長所を兼ね備えた"新・新歌舞伎"を創造すべきだ」 「それならいっそ先生が」という猿之助の言葉に梅原が応じて出来上がったのが、1986年(昭和61年)の『ヤマトタケル』である。
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