スポーツ選手における多重国籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 03:49 UTC 版)
「多重国籍」の記事における「スポーツ選手における多重国籍」の解説
国の代表選手であるオリンピック選手が二重国籍だった場合、国によって対応が異なる。アメリカでは二重国籍者でも代表選手になることが可能であり、カリコー・カタリンの娘であるフランツィア・ジュジャンナ(英語版)は2歳の時にハンガリーから移住しハンガリーとアメリカのの二重国籍となったが、2008年北京オリンピックと2012年ロンドンオリンピックでボート競技(エイト)のアメリカ代表選手として金メダルを獲得した。 ヨーロッパのサッカー1部リーグで活躍する選手の中には、外国人枠の問題でヨーロッパの国籍を取得し二重国籍となる選手もいる。EU域内のいずれかの国籍を有していれば、規定によりEU域内のどの国のクラブでも外国人とはみなされない。 年代別代表選出経験があっても、フル代表出場経験(親善試合は対象外)がなければ、他の国のフル代表としてプレーすることは可能である。例としてティアゴ・モッタはU-23ブラジル代表でプレーしたが、フル代表はイタリアを選択している。この場合、モッタがブラジルのフル代表としてプレーするのは不可能となる。 韓国では、科学・経済・文化・体育など特定分野で非常に優秀な能力を保有する者で、韓国の国益に寄与すると認められる者に限り認められる「特別帰化制度」がある。「特別帰化」で韓国籍を取得した外国人は、成人後も多重国籍であることが特例として認められる。
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