スクウェア退社とブラウニーブラウン設立
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「亀岡慎一」の記事における「スクウェア退社とブラウニーブラウン設立」の解説
1999年当時、『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』発売前後のスクウェアは、『ファイナルファンタジーVIII』の記録的売り上げ(莫大な利益)と、フルCG映画版『ファイナルファンタジー』の制作費増大(莫大なコスト増)を受けて、2000年1月、同社の売れ筋である『ファイナルファンタジー』シリーズ、3Dグラフィックスのゲームソフトへの開発資源の集中投入、延いてはこれまで『聖剣伝説』などを作ってきた従業員の転属及び再配置、『聖剣伝説』シリーズに代表される2Dグラフィックスのゲームソフトの開発縮小方針を打ち出した。通称「FFシフト」と呼ばれる会社の変質は、2Dグラフィックスのゲームソフトを作ってきた亀岡の退社を決意させる。 2000年2月頃、のちの会社立ち上げメンバーになる穴澤友樹、津田幸治、井上信行とともにスクウェアを退社。2Dゲームを主力とする携帯ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」の発売を控えていた任天堂株式会社の出資によって、2000年6月30日、株式会社ブラウニーブラウンを設立。同社の代表取締役社長に就任。キャラクターデザイナー業と社長業の2足のわらじを履く。 2013年2月1日、同社は1-UPスタジオ株式会社に社名変更、亀岡は同社社長を退任。
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