ジュゼッペ・マッツィーニとアルバート・パイクの往復書簡
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「アルバート・パイク」の記事における「ジュゼッペ・マッツィーニとアルバート・パイクの往復書簡」の解説
この往復書簡の起源は不明確のままである。原典となるパイク書簡は現物が実在しておらず、かつて実際に書かれた事を証明する決定的な証拠も存在していない。 1870年1月22日にマッツィーニがパイクに宛てた手紙に対し、1871年8月15日にパイクがマッツィーニに返事を出したということになっている。 マッツィーニによるとされる手紙の内容は、エディス(イーディス)・スター・ミラー、クイーンボロ男爵夫人(Edith Starr Miller, Lady Queenborough, 1887年7月16日- 1933年1月16日)が1933年に出版した「オカルト神権政治」(Occult Theocracy)に収録されている。 パイクによるとされる返書の内容は、チリのサンティアゴの枢機卿、ホセ・マリア・カロ・ロドリゲス(José María Caro Rodríguez, 1866年6月23日- 1958年12月4日)が1925年に出版した「ベールを剥がされたフリーメイソンリーの密儀」(Mystery of Freemasonry unveiled)の中に収録されている。抄訳が、ロドリゲス枢機卿から学んだとされる、元・王立カナダ海軍情報将校であるウィリアム・ガイ・カー(William Guy Carr, 1895年6月2日- 1959年10月2日)が1955年に上梓した「ゲームの駒」(Pawns in the Game)第4版(1962年)に掲載された。
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