ジャンムー・カシミール民族協議会とは? わかりやすく解説

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ジャンムー・カシミール民族協議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 19:26 UTC 版)

インド政党
ジャンムー・カシミール民族協議会
Jammu & Kashmir National Conference
党旗
オマール・アブドゥラ
成立年月日 1932年10月15日
ローク・サバー議席数
2 / 543
 / 543
(2024年6月22日)
ラージヤ・サバー議席数
0 / 245
政治的思想・立場 カシミール人の地位向上
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ジャンムー・カシミール民族協議会(ジャンムー・カシミールみんぞくきょうぎかい、英語: Jammu & Kashmir National Conference)は、インドの政党。地方政党の一つでジャンムー・カシミール州を中心に活動している。

党史

1932年10月、シェイク・アブドゥッラー英語版らによって全ジャンムー・カシミール・ムスリム協議会が創設される。その後1939年6月に同協議会は、全ジャンムー・カシミール民族協議会へと改称された[1]。インド独立後の1951年9月に行われたジャンムー・カシミール州制憲議会選挙では、同党は全75議席を獲得している。この選挙結果を受けて、シェイク・アブドゥッラー党首が州首相に就任した。しかし、シェイク・アブドゥッラーは連邦政府からカシミール独立構想を警戒されたため1953年8月に州首相を解任され、逮捕されている。1975年にシェイク・アブドゥッラーは再度、州首相に就任し1982年に亡くなるまで在職した。シェイク・アブドゥッラーが死去した後には、彼の息子であるファルーク・アブドゥッラー英語版が州首相に就任している。

脚注

  1. ^ 塗木理恵「資料 カシミール問題への視角」『アジア経済』第42巻第11号、日本貿易振興会アジア経済研究所、2001年11月、50-77頁、doi:10.20561/00041721hdl:2344/00007950ISSN 0002-2942NAID 1200062257212022年6月26日閲覧 

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