ジャネット・アルウェッグとは? わかりやすく解説

ジャネット・アルウェッグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 17:40 UTC 版)

ジャネット・アルウェッグ
Jeannette ALTWEGG
世界フィギュアスケート殿堂 1993
1951年世界選手権でのアルウェッグ
選手情報
生年月日 (1930-09-08) 1930年9月8日
没年月日 (2021-06-18) 2021年6月18日(90歳没)
代表国 イギリス
出生地 インド ボンベイ
出身地 リバプール
元コーチ ジャック・ゲルシュヴィラー
所属クラブ Queens Ice Dance Club, London
引退 1952年
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
1948 サンモリッツ 女子シングル
1952 オスロ 女子シングル
世界選手権
1949 パリ 女子シングル
1950 ロンドン 女子シングル
1951 ミラノ 女子シングル
欧州選手権
1949 ミラノ 女子シングル
1950 オスロ 女子シングル
1951 チューリッヒ 女子シングル
1952 ウィーン 女子シングル
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ジャネット・アルウェッグJeannette Altwegg, 1930年9月8日 - 2021年6月18日)は、イギリス女性フィギュアスケート選手。1952年オスロオリンピック女子シングル金メダリスト。リバプール出身。

経歴

アルウェッグは、1947年全英オープンのジュニアクラスで決勝にまで残るほどのテニスの選手であった。しかしながら、彼女が本当に才能を発揮したのはフィギュアスケートだった。

彼女は18歳になった1948年に、サンモリッツオリンピックに出場し銅メダルを獲得。 1951年には、ヨーロッパチャンピオンと世界チャンピオンに輝いている。1952年オスロオリンピックの直前には、ヨーロッパチャンピオンの座を守ることに成功した。

そして、オリンピックでは、まず、コンパルソリーフィギュアで大きくリードした彼女は、フリースケーティングでは4位であったにもかかわらず金メダルを獲得した。9人の審判のうち6人が彼女を1位と評価していた。

アルウェッグは、オリンピックチャンピオンとして、プロに転向すれば大きな収入を得ることができたはずであった。しかし、彼女はスケートをやめスイスで戦災孤児たちの仕事に従事する道を歩んだ。

2021年6月、スイスで死去したことが報じられた。

主な戦績

大会/年 1946-47 1947-48 1948-49 1949-50 1950-51 1951-52
オリンピック 3 1
世界選手権 5 4 3 2 1
欧州選手権 4 5 3 2 1 1

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