クロンベルガー・リリーとは? わかりやすく解説

クロンベルガー・リリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/19 10:09 UTC 版)

クロンベルガー・リリー
Kronberger Lily
世界フィギュアスケート殿堂 1997
クロンベルガー・リリー
選手情報
生年月日 (1890-11-12) 1890年11月12日
没年月日 (1974-05-21) 1974年5月21日(83歳没)
代表国  ハンガリー
出生地 オーストリア・ハンガリー帝国
死没地 ブダペスト
獲得メダル
フィギュアスケート
世界選手権
1906 ダボス 女子シングル
1907 ウィーン 女子シングル
1908 オパヴァ 女子シングル
1909 ブダペスト 女子シングル
1910 ダボス 女子シングル
1911 ウィーン 女子シングル
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト
この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にリリー・クロンベルガーと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名

クロンベルガー・リリー(Kronberger Lily、Lily Kronberger、1890年11月12日 - 1974年5月21日)は、ハンガリー出身のフィギュアスケート選手。1908年、1909年、1910年、1911年世界フィギュアスケート選手権女子シングルチャンピオン。

経歴

1906年初めて開催された国際スケート連盟女子フィギュアスケート選手権(世界フィギュアスケート選手権)に参加して3位となる。1908年、1909年、1910年、1911年世界フィギュアスケート選手権 優勝し、2人目の女子優勝者となる。

1974年ブダペストで死去。 1997年世界フィギュアスケート殿堂入り。

功績

現在のフィギュアスケートでは当たり前となっている演技中の音楽だが、フィギュアスケート黎明期である1900年代初頭にはなかったものであった。1911年世界フィギュアスケート選手権では、ハンガリーの作曲家として有名なコダーイ・ゾルターンの提案でフリープログラムに伴奏を取り入れた初めての選手となる。この画期的な出来事により、フィギュアスケートでは伴奏が必須のものとなった。

主な戦績

大会/年 1905-06 1906-07 1907-08 1908-09 1909-10 1910-11
世界選手権 3 3 1 1 1 1

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