シュリッセリブルクの街
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「シュリッセリブルク」の記事における「シュリッセリブルクの街」の解説
シュリッセリブルクの市街地はラドガ湖およびネヴァ川の南岸にあり、要塞の島が北沖に浮かぶ。ピョートル大帝がこの地をスウェーデンから奪った1702年、街が建設された。現在は18世紀に遡る聖堂が残るほかは歴史的建築物の数は多くはない。しかしこの地にピョートル大帝の命令で築かれたラドガ運河は今も見ることが出来る。これは、風が強く波の高い時期にはラドガ湖を通る船がしばしば転覆したため、より安全な水路をラドガ湖の南岸に沿って築いたもので、1719年に建設が始まり、ブルクハルト・フォン・ミュンニヒ元帥の指揮下、12年後に開通した。1836年に築かれた石製の水門もある。 第二次世界大戦では、シュリッセリブルクの街はドイツ軍北方軍集団により陥落し、レニングラード包囲網の一角をなしたものの沖合いの要塞を落とす事ができなかった。赤軍は1943年にシュリッセリブルクを奪還し、レニングラード解放の拠点とした。1944年にはドイツ語に由来するシュリッセリブルクという地名が「ピョートルの砦」を意味するペトロクレポスチへと改められたが、ソビエト連邦の崩壊後の1992年にもとの地名に戻った。
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