シュトッカー会長の就任とフライブルガーFCの凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:37 UTC 版)
「SCフライブルク」の記事における「シュトッカー会長の就任とフライブルガーFCの凋落」の解説
フライブルガーFCとSCフライブルクの両クラブの将来を大きく左右する事件が1972年に起きる。地元出身で様々なビジネスコネクションを持っていたアッヒム・シュトッカーが当時としては巨額な金額をサッカーに投資しようとしたあるスポンサーをフライブルガーFCに紹介するものの、フライブルガーFCの経営陣はスポンサー無しではクラブ経営が成り立たなくなる、というサッカー界の将来を見据えることができず、このスポンサーの申し入れを断る。そのためシュトッカーは当時まだフライブルガーFCの陰に隠れた存在であったSCフライブルクにこのスポンサーを紹介する。 新たな金銭的なサポートを得ることができたSCフライブルクは徐々に順位を上げていき、1978年にはドイツ2部への昇格を果たす。以降は同リーグで中位の順位をコンスタントにキープし、フライブルガーFCとの立場も完全に逆転。シュトッカー自らもSCフライブルクの会長に選出される。 ちなみにフライブルガーFCはSCフライブルクとは対照的に徐々に順位を落としていき、クラブ規模も小さなものになっていく。1982年にはドイツ2部より降格し、以降はアマチュアレベルの下位リーグに属し、2001年には財政難からSCフライブルクの育成部門に本拠地のメースレ・シュターディオンを明け渡さなくてはならなかった。現在ではフライブルガーFCの存在はフライブルクを除けば全くと言って良いほど知られていない。
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