シトカ・キクスアディの生き残りの行進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 07:19 UTC 版)
「シトカの戦い」の記事における「シトカ・キクスアディの生き残りの行進」の解説
トリンギット族の最初の行程は徒歩で「ガヤー・ヘーン」から「ダヘイト」へ行くことだった。そこは伝統的な先住民の食料である数の子を毎年5月に収穫するナクワシナ湾の漁場であった。そこから、山地を横切って北の「チャートル・カーノーウ」に至る道は憶測するしかない。チャートル・カーノーウにはペリル海峡のポイント・クレイブンにあるキクスアディの「ハリバット砦があった。しかし、ベラノフ島の北西にある湾を回る海岸ルートが島の深い森を避けられるのでありそうなコースである。これはシトカ・クワーン(シトカ族)に関するハーブおよびフランク・ホープによって行われた最初の調査によって裏付けられている。アカスギの幹で作られたカヌーであれば、チチャゴフ島までの海洋も航海できた。 戦闘の後も幾らかの戦士が「ノーウ・トライン」の近辺に後衛として残され、ロシア人開拓者に嫌がらせを行い、またキクスアディが北へ逃げ延びる間ロシア軍の追跡を防いだ。その後間もなく8名のアレウト族罠猟師がジェイムズタウン湾で殺され、またニューアークエンジェルの近くの森で撃たれた者もいた。その時点から後は、ロシアの猟師の一隊が大勢で出かけてそれ以上の攻撃が無いように警戒した。キクスアディは他のトリンギット族にいかなる場合もロシア軍と接触しないように推奨した。
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