ザバイカリスクとは? わかりやすく解説

ザバイカリスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:25 UTC 版)

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ザバイカリスク
Забайкальск
建設1900年
ロシア連邦
連邦管区シベリア連邦管区
行政区画 ザバイカリエ地方
市町村区ザバイカリエ地区
人口10,899人 (2009年)
等時帯ヤクーツク時間 (UTC+9)
夏時間なし
郵便番号674650
市外局番+7 30251
ナンバープレート75, 80

ザバイカリスクロシア語: Забайка́льск)とは、ロシア連邦ザバイカリエ地方ザバイカリスク地区に所在する都市型集落ザバイカル(簡体字:后貝加尔、繁体字:后貝加爾)とも。

概要

ザバイカリスクとはバイカル湖の向こう側という意味で、ロシアと中華人民共和国の国境線上に位置する都市であり、中国側の都市は満州里市である。 市内をアジアハイウェイAH-6が通っている。 かつては100km弱東方にあるアルグン川の阿巴該図島で露中間の国境問題が存在した。

人口は1989年で8632人、2002年で10210人、2005年で10200人。

歴史

ザバイカリスクは、もともとシベリア鉄道の支線として鉄道が敷設[1]され、現在のザバイカリスク駅が完成すると同時に出来た都市である。

  • 1904年 東清鉄道により「ラズイェスト86」(Razyezd 86, Разъезд № 86、「交換駅86号」)として駅が開業。
  • 1924年 この年より、国境警備隊が駐屯する。
  • 1929年 中ソ紛争の結果、駅名をオトポール(Otpor, Отпор、「撃退」)に改める。
  • 1930年代 東清鉄道は満州国に買収され、中国側の軌間は1435mmに改軌される。
  • 1936年 多数の亡命ユダヤ人満州国への入国を求めて集結。(オトポール事件
  • 1945年 ソ連対日参戦により中国側の軌間が1520mmに戻される。
  • 1958年 中国側の要請により、オトポール駅をザバイカリスク駅に改める。

交通

ザバイカリスクはロシアと中国とを直接結ぶ3ヶ所の内の1ヶ所である。他の2ヶ所は遥か東の沿海地方に所在する。また、露中間の旅行の場合はモンゴル国を経由して行くのが一般的である。

また、町北部のチホルトゥイ近郊にはザバイカリスク北空港が所在する。

脚注

  1. ^ 東清鉄道参照のこと

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