サン・ファン・バウティスタ (チリ)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サン・ファン・バウティスタ (チリ)の意味・解説 

サン・ファン・バウティスタ (チリ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 19:56 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
サン・ファン・バウティスタ
San Juan Bautista
位置
サン・ファン・バウティスタ
サン・ファン・バウティスタ (チリ)
座標 : 南緯33度38分 西経78度50分 / 南緯33.633度 西経78.833度 / -33.633; -78.833
行政
 チリ
  バルパライソ州
 県 バルパライソ県
 村 サン・ファン・バウティスタ
地理
面積  
  村域 ? km2
標高 0 m
人口
人口 (2012年現在)
  村域 800人
その他
等時帯 UTC-4 (UTC-4)
夏時間 UTC-3 (UTC-3)
市外局番 56 + 9

サン・ファン・バウティスタスペイン語:San Juan Bautista、英語:St. John the Baptist)とは太平洋にあるチリファン・フェルナンデス諸島の中心地である。

概要

ファン・フェルナンデス諸島で唯一人が住むロビンソン・クルーソー島のカンバーランド湾に位置し、ロビンソン・クルーソー島の全人口の598人(2002年)がサン・ファン・バウティスタの集落地に住んでいる。

チリで最も孤立した集落地の一つだがインフラも整い、宿泊施設は少ないがゲストハウスもあり、携帯電話が利用でき、衛星テレビなども利用でき、自動車も通れる舗装した道路や港にはチリ海軍の軍艦も停泊出来る。

1574年スペインの航海者、ファン・フェルナンデスによって諸島は発見され、スペインは1750年171人の入植者をロビンソン・クルーソー島に送りバイーア・デ・カンバーランド湾に、フェルテ・サンタバルバラ(fuerte Santa Bárbara)と言う入植地の集落が始まった。この入植者達の最初の知事であるファン・ナバロ・サンタエージャ(Juan Navarro Santaella)はこの入植地の集落の洗礼をし"サン・ファン・バウティスタ"(聖ヨハネ)とした。その後、津波で破壊などされるが再建され1779年の段階では40の家の入植を保っていた。1814年にはチリの独立運動の一つランカグアの戦いで独立運動家の亡命場所としてこのサン・ファン・バウティスタに住んでいた。

第一次世界大戦の1915年サン・ファン・バウティスタ付近の海でイギリスの軽巡洋艦がドイツの軽巡洋艦 ドレスデンを沈めている。ドレスデンの生存者の乗組員はサン・ファン・バウティスタに定住した。集落から北方にドレスデンの乗組員の墓もある。

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サン・ファン・バウティスタ (チリ)」の関連用語

サン・ファン・バウティスタ (チリ)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サン・ファン・バウティスタ (チリ)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサン・ファン・バウティスタ (チリ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS