サロメーヤ・ネリスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サロメーヤ・ネリスの意味・解説 

サロメーヤ・ネリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 15:29 UTC 版)

サロメーヤ・ネリス
誕生 (1904-11-17) 1904年11月17日
ロシア帝国
スヴァルキ県英語版(現: リトアニア マリヤンポレ郡ヴィルカヴィシュキス地区自治体英語版)キルシャイ
死没 (1945-07-07) 1945年7月7日(40歳没)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ
国籍  リトアニア
最終学歴 ヴィータウタス・マグヌス大学
ヴィリニュス大学
ジャンル
デビュー作 『あさはやくに』
テンプレートを表示

サロメーヤ・ネリスリトアニア語: Salomėja Nėris1904年11月17日 - 1945年7月7日)は、リトアニア詩人である。本名は、サロメーヤ・バチンスカイテ=ブチエネSalomėja Bačinskaitė-Bučienė)。

経歴

ロシア帝国支配下のキルシャイ村に出生。ラズディヤイ、カウナスパネヴェジースで教職に就いたあと、1927年に処女詩集「あさはやくに」(„Anksti rytą“)を発表した。1928年にリトアニア大学(現ヴィータウタス・マグヌス大学)を卒業。リトアニア文学、ドイツ語ドイツ文学を専攻した。卒業後はギムナジウムのドイツ語の教師となった。

1945年、肝臓がんと診断されモスクワで療養中に死去した。晩年の作品は、リトアニアへの愛情にあふれていた。死後、カウナスに埋葬された。

作品

  • „Anksti rytą“ (1927年)
  • „Pėdos smėly“(1931年)
  • „Per lūžtantį ledą“(1935年)
  • „Diemedžiu žydėsiu“(1938年)
  • „Eglė žalčių karalienė“(1940年)
  • „Dainuok, širdie, gyvenimą“(1943年)
  • „Lakštingala negali nečiulbėti“(1945年)

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  サロメーヤ・ネリスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サロメーヤ・ネリス」の関連用語

サロメーヤ・ネリスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サロメーヤ・ネリスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサロメーヤ・ネリス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS