サリフ・ケイタ_(ミュージシャン)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サリフ・ケイタ_(ミュージシャン)の意味・解説 

サリフ・ケイタ (ミュージシャン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 17:28 UTC 版)

サリフ・ケイタ
Salif Keita
サリフ・ケイタ(2015年)
基本情報
生誕 (1949-08-25) 1949年8月25日(75歳)
出身地 マリ ジョリヴァ
ジャンル アフロ・ポップ
職業 歌手
担当楽器 ギター
テンプレートを表示

サリフ・ケイタSalif Keïta1949年8月25日 - )は、マリ出身のシンガーソングライター。アフリカの伝統音楽と現代的なサウンドを融合させた独自の音楽性は世界的に評価が高い。アルビノのミュージシャンとしても有名。

略歴

裕福な貴族の家に生まれ、古代マリ帝国王家の直系スンジャタ・ケイタの子孫に当たる。しかしアルビノにより生まれ持った白い肌は、社会から迫害とも言える差別をもたらした。一族からも追放同然の差別を受け、若き日の生活は貧しかったという。

幼少期より音楽の才能を示し、1967年にミュージシャンを志して首都バマコに移り住んだ。

1970年、マリの国民的バンド、Orchestre Rail Band De Bamako(レイル・バンド)にボーカリストとして参加。1973年には、そのライバルであったLes Ambassadeurs Du Motel De Bamako(アンバサデュール)に移籍。1978年には自作曲である「Mandjou」をヒットさせるなどの活躍を見せた。1982年にアンバサデュールを脱退。

1984年にはフランスパリに拠点を移し、1987年にアルバム『ソロ』でソロデビュー。エレクトロ・サウンドを駆使した「マンデポップ」と呼ばれたこのアルバムによって、アフリカ以外での人気を獲得し、ヨーロッパ・ツアーも実現した。1989年には初来日公演を行う。

以降も精力的に音楽活動を続け、またアルビノの人々の支援する活動も積極的に行っている。

音楽作品

  • 『ソロ』 - Soro(1987年)
  • 『コヤン』 - Ko-Yan(1989年)
  • 『アメン』 - Amen(1991年)
  • 『フォロン』 - FolonKo-Yan(1995年)
  • 『ソジィ』 - Sosie(1995年)※フレンチ・ポップのカバー・アルバム
  • 『パパ』 - PaPa(1999年)
  • 『モフー』 - Moffou(2002年)
  • 『ムベンバ』 - M'Bemba(2005年)
  • 『ラ・ディフェロンス』 - La Différence(2009年)
  • 『タレ』 - Talé(2012年)
  • 『アン・オート・ブランク』 - Un Autre Blanc (2018年)
  • 『ソ・コノ』 - SO KONO (2025年)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サリフ・ケイタ_(ミュージシャン)」の関連用語

サリフ・ケイタ_(ミュージシャン)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サリフ・ケイタ_(ミュージシャン)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサリフ・ケイタ (ミュージシャン) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS