ママドゥ・ドゥンビアとは? わかりやすく解説

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ママドゥ・ドゥンビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 15:53 UTC 版)

ママドゥ・ドゥンビア
Mamadou Doumbia
別名 ママドゥ
生誕 (1965-01-12) 1965年1月12日(60歳)
出身地 マリ クリコロ州 クリコロ
ジャンル アフリカン・ミュージック
職業 ギタリスト
作曲家
編曲家
コラ奏者
担当楽器 ギター
コラ
活動期間 1982年 -
レーベル BAD NEWS RECORDS
ビクターエンタテインメント
共同作業者 サリフ・ケイタ
マンディンカ
公式サイト Mamadou Music.com
カルロス・サンタナ
マリ共和国の音楽

ママドゥ・ドゥンビアMamadou Doumbia1965年1月12日 - )は、マリ共和国ギタリスト作曲家編曲家コラ奏者。

人物

マリ共和国クリコロ生まれ。学生時代からバンド活動を始める。当初は高校教師志望で、大学に進学して英語を専攻していたが、音楽活動が軌道に乗ってきたために、3年目にドロップアウト。

1982年、マリの国営バンドレール・バンドのリード・ギタリストとして抜擢されると、同バンドのリード・シンガーサリフ・ケイタと意気投合。1984年にサリフ・ケイタがパリに拠点を移すと、その2年後の1986年に渡仏。サリフ・ケイタを始め、さまざまなミュージシャンのバックバンドを精力的に務める。

1990年にサリフ・ケイタのバックバンドの一員として初来日。ワールドミュージックブームと日本の音楽情報の流通形態に感銘を受け[1]、翌1991年から日本に拠点に移す。

1993年にマンディンカを結成。翌1994年からアフリカの民族楽器コラを独学で習得し、それをバンドサウンドのひとつとして取り入れている。通常のコラは21弦だが、彼が使用しているコラは23弦である[2]。マンディンカを始めとしてさまざまなバンド・ユニットの一員として数々のライブを行う[3]一方で、バラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』にレギュラー出演したり、コラを片手に講演活動するなど、多方面で精力的に活動している。

かつてはヤシの木のような独特のヘアスタイルが特徴的だったが、現在は坊主頭になっている。

ディスコグラフィ

マンディンカに関してはマンディンカを参照。

参考文献

  • 小沼純一『ALIVE IN JAPAN』 (青土社、2000年) - ママドゥのインタビュー&紹介記事あり。

注釈

  1. ^ 小沼、P.33
  2. ^ 小沼、P.30
  3. ^ マンディンカの一員としてWOMADにも数回参加している。また、2005年にはAFRIKUNDAの一員として愛・地球博でライブを行っている。

外部リンク




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