サマセット公家相続問題への介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 15:46 UTC 版)
「ヘンリー・シン (1832-1904)」の記事における「サマセット公家相続問題への介入」の解説
当時のサマセット公爵家当主第12代サマセット公爵エドワード・シーモア(英語版)は男子を2人もうけたが、すでに両名とも死去していた。このうち長男エドワードには2人の幼い男子(ハロルドとルース)がいたが、キリスト教に拠らない挙式の末もうけた庶子であった。そこで公爵は爵位こそ継がせることはできないが、莫大な資産のうち公爵家絵画コレクション全てを兄弟に相続させることを一族に周知していた。 その公爵が1885年に没すると、折しも議員を引退したシンは妻アルリカとともに相続問題に介入、幼い兄弟に分与された絵画やめぼしい財産を後見人の立場を利用してことごとく売り払った。シンはこの際に兄弟の父エドワードの結婚証明書も処分しており、成人した兄弟がその出生を証明する術も失われてしまった。そのため、第15代サマセット公爵(英語版)死去に伴って再び継承問題が生じたときも、兄弟は継承権の立証に失敗している。
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