コペンハーゲン (軍馬)
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コペンハーゲン | |
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コペンハーゲンに騎乗するウェリントン公(トーマス・ローレンス画)
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欧字表記 | Copenhagen |
品種 | サラブレッドとハンターの雑種(現在の基準では軽半) |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1808年 |
死没 | 1836年2月12日 |
父 | ミーチャ |
母 | レディキャサリン |
生国 | イギリス |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦 |
コペンハーゲン(Copenhagen、1808年 - 1836年2月12日)とは、イギリスの競走馬、軍馬である。初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの愛馬。母「レディキャサリン」も軍馬でありグルーブナー騎乗のもと、「コペンハーゲンの戦い」に参戦している。
生涯
2歳時にニューマーケットで10回競馬の競走に出走し、ステークスを含む複数の競走を優勝した。1811年に400ギニーで初代ウェリントン子爵アーサー・ウェルズリー(当時)に売却され、1812年から1815年にかけてウェリントンの乗馬として活躍した。体高152センチメートルと小柄ながらかなりの体力の持ち主で、ワーテルローの戦いの際には2日間に渡りほとんど休みなくウェリントンを乗せて戦線を駆けずり回った。晩年はウェリントン夫人のペットとして飼育され、28歳で死亡。ハンプシャーに埋葬された。コペンハーゲンの葬儀においてウェリントンは本馬について「忍耐と根性においてこの馬に比肩する馬を見たことがない」と述べた。
ワーテルローでの活躍が認められ、サラブレッドではなかったにもかかわらずジェネラルスタッドブック第1巻にサラブレッドとして登録されたこともある(のちに第3巻発行時に削除された)。
血統表
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コペンハーゲンの血統軽半 エクリプス系 | (血統表の出典) | |||
父
サラ ミーチャ 不明 不明 |
父の父
サラ Eclipse1764 栃栗毛 |
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父の母
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母
軽半 レディキャサリン 不明 不明 |
サラ ジョンブル 不明 不明 |
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母の母
ハンター(またはデンマーク産フレデリックス馬) ラットランドアラビアン不明 不明 |
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「コペンハーゲン (軍馬)」の例文・使い方・用例・文例
- コペンハーゲンはここから 2 日の航程です.
- デンマーク最大の島でコペンハーゲンの所在地
- コペンハーゲンは時々北部のパリと呼ばれる
- コペンハーゲンというデンマークの首都
- デンマークのコペンハーゲンでは,3人に1人が自転車で通勤している。
- 野口博士は,1903年から1904年にかけて,デンマーク・コペンハーゲンの国立血(けっ)清(せい)研究所で学んだ。
- 旅の途中,国際オリンピック委員会の2016年開催都市の発表に立ち会うため,10月にデンマークのコペンハーゲンに立ち寄る予定だ。
- 10月2日,国際オリンピック委員会はデンマーク・コペンハーゲンでの会合で2016年夏季五輪大会の開催都市を決める投票を行った。
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