ゲイ・タウンの形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 17:25 UTC 版)
老舗商業ゲイ雑誌の全ては東京に本拠があり(会員制ゲイ雑誌「同好」は大阪で創刊されている)、OGC(旧:IGA日本・大阪)がかつて機関誌を出し、G-FRONT関西(1994年発足)が会報誌「UP&UP」や機関誌「ぽこあぽこ」を出していることなどを除いては、大阪に編集部を置く商業ゲイ雑誌はなかった。その事に触れた書籍なども殆ど見当たらない。そのため堂山町がゲイ・タウンとしてどの程度の歴史があったのか、どのような発展の途を辿ってきたのかを知るのは非常に難しい。歴史的には、堂山よりも芝居小屋の多かった道頓堀に、江戸時代頃には若衆茶屋が集まっていたことで知られている。(因みに現在の難波ゲイタウンも1958年に開館した旧・新歌舞伎座(現在移転)の裏にある。かつては難波新地乙部遊廓もあった)。 ちなみに、「ぽこあぽこ」8号(1997年4月1日発行)には、1970年代後半頃、堂山でDJをしていたゲイのインタビュー(1996年)が掲載されており、「(96年と比べて)20年前の堂山のゲイの店の数は1/3くらい」とある。このインタビューが行われた頃のキタ(≠堂山)のゲイバー・売り専ホスト・マッサージ・発展場・ショップの数は、「Badi」1997年4月号「男のイエローページ」に載っているものだけで118店(1998年3月号では131店。載っていない店もあると思われる)。仮に1/3とすると1970年代後半頃には少なくとも、およそ40店の店があったことになる。
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