クレタ=ミケーネ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:23 UTC 版)
クノッソス宮殿は災害の傷跡から迅速に復興するものの、もはや以前の宮殿ではなくなっていた。災害により弱体化したクノッソス宮殿の支配者は、ミケーネ人へと交代していた。もはやクノッソスにミケーネ文明からの侵略を耐える力は無かった。クノッソス宮殿の至る所にミケーネ文明の影響が及び、墓地には武具と共に戦士が埋葬される慣習が多く見られるようになり、王座の間や両頭斧の間の構造もミケーネ風に変化した。ミノアの芸術も、ミケーネ文明の様式に近くなっていき、戦士を主題とした作品が好まれるようになった。また、ミノア文明の文字である線文字Aから、ミケーネ文明の文字である線文字Bへと書き言葉が変わり、前1450年頃のクノッソス宮殿で書かれたとされる線文字Bが出土している。行政システムもミケーネ文明のものとなり、ミケーネ文明はクノッソスを拠点として全クレタを支配し、エーゲ海の制海権すらも得つつあった。しかし、ミケーネ文明の支配下にあってもなお、ミノア人たちは商業活動を活発に行っており、工芸品を多く海外に輸出していた。
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