クハ1951形登場まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/25 14:34 UTC 版)
「南海1501形電車」の記事における「クハ1951形登場まで」の解説
本形式は20m級の大形車であるため、モハ2001形と同様に専ら南海本線で使用された。1947年の入線当初は本来モハ2001形とペアとなる制御車のクハ2801形と編成を組んでいたが、やがてクハ2821形とも組むようになった。また本形式の未電装車も既電装車と組んで使用された。戦後の混乱期において本形式は最大5両編成で急行にも使用され、大形4扉車体の収容力を存分に生かしていた。未電装車が電装されてさらに制御車が必要となった1949年からは旧電7系のクハ1801形やクハ1811形が主な組成相手となった。クハ1801形は17m級の片側2扉の木造車であり本形式とは不釣り合いな組み合わせであったが、本形式は同系の制御車を持たなかったためこれがごく普通の編成となっていた。なお、このころまでに正面の大きな社章は消されており、また普通列車に短編成で使用される運用が主体になっていた。1951年に発生した桜木町事故ののち、側窓を2段上昇式に改造、屋根に帆布を張って赤茶色に塗装し、非運転台側の貫通路を通行できるように整備した。
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