クアルトゥ・サンテーレナ上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/12 09:09 UTC 版)
「サルデーニャ遠征」の記事における「クアルトゥ・サンテーレナ上陸」の解説
2月11日、フランスの派遣隊が兵士1,200人をクアルトゥ・サンテーレナで上陸させた。上陸軍は西進してカリャリに向かったが、サルデーニャ騎兵に追い返された。カリャリのラザレット(英語版)とカラモスカ(イタリア語版)の塔への攻撃も跳ね返されたが、フランス軍は再集結して追加の軍勢を上陸させ、クアルトゥ・サンテーレナ城外に5千人を集めた。クアルトゥ・サンテーレナの町とカラモスカは2月15日に再び攻撃され、フランス艦隊も砲撃で援護したが、攻撃は再び失敗した。上陸軍はサルデーニャ人が即席で作ったバリケードから撃たれたブドウ弾に撃退されて乱雑に撤退、別の攻撃もサルデーニャの反攻で敗れた。トルゲは戦死300と捕虜100を出しつつ自軍を砂浜に撤退した。勝利したサルデーニャ人はフランス兵の死体の手足を切断してそれを戦利品としたと言われている。 トルゲは2月16日と17日にはカリャリを再び砲撃したがやはり効果が薄く、さらに17日に嵐がカリャリ湾を襲い、トルゲ艦隊は再び追い散らされた。74門戦列艦のレオパール(英語版)は座礁して難破、ほか船数隻が失われた。トルゲは上陸作戦を諦め、兵士を乗船させてフランスに戻った。彼はサン・ピエトロ島とサンタンティーオコ島に駐留軍800人とフリゲート2隻を残した。
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