キャスリーン・ジョーンズ誘拐未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:19 UTC 版)
「ゾディアック事件」の記事における「キャスリーン・ジョーンズ誘拐未遂」の解説
1970年3月22日の夜、当時22歳のキャスリーン・ジョーンズ (英: Kathleen Johns) はカリフォルニア州サンバーナーディーノを出発し、ペタルーマに住む母親の元を訪ねるため、車を走らせていた。ジョーンズは妊娠7か月で、車には生後10か月の娘を乗せていた。モデストの近くの州道132号線で、西に向けて車を走らせていたとき、後ろを走っていた車がクラクションを鳴らし、ヘッドライトを点滅させて合図を送った。ジョーンズは車を道路脇に寄せて停車させた。後ろを走っていた車もジョーンズの車の後方に停まり、中から男が出てきた。男はジョーンズの車に近寄ると、ジョーンズの車の右後ろのタイヤが外れかかっていたと言い、ラグナットを締め直すことを申し出た。ジョーンズは男に言われるがままにラグナットを締め直してもらった。男は一仕事終えると、自分の車に乗って立ち去った。ところが、ジョーンズが再び車を走らせようとすると、すぐにタイヤが外れてしまった。男は戻ってきて、助けを求めるために近くのガソリンスタンドまで車で送ると申し出た。ジョーンズは娘と一緒に男の車に乗った。 男の車に乗っていると、いくつかのガソリンスタンドを通り過ぎたが、男は立ち寄ろうとしなかった。およそ90分間、男の車はトレーシー(英語版)付近の田舎道を行ったり来たりした。ジョーンズがどうして車を停めようとしないのか尋ねると、男は話題を変えようとした。男が交差点で車を停めたとき、ジョーンズは娘を抱いて車から飛び出し、原野の中に身を潜めた。男は懐中電灯でジョーンズを探し、ジョーンズを傷つけるつもりはないと話しかけたが、最後には諦めた。男はジョーンズを見つけることができず、車へと戻り、車を走らせて立ち去った。ジョーンズはヒッチハイクでパターソン(英語版)にある警察署へ向かった。 ジョーンズは当直の巡査部長に何があったのか伝えていたとき、ポール・スタイン殺害の犯人の似顔絵が貼られていることに気が付いた。ジョーンズはその似顔絵の男が自分と娘を誘拐しようとした犯人であると認めた。巡査部長は男がジョーンズやその娘を殺しに戻ってくることを恐れ、近くにあるミルズ・レストラン (英: Mil's Restaurant) の暗がりで待機してもらった。ジョーンズの車が発見されたが、車の内部は破壊され、放火の被害にあっていた。 ほとんどの情報源で、男は運転中にジョーンズと娘を殺すと脅迫したとされている。しかし、少なくとも1件の警察の報告書でそれは否定されている。サンフランシスコ・クロニクルの記者ポール・エイブリー (英: Paul Avery) にジョーンズが証言した際に、犯人の男は自分の車から出て、暗がりで懐中電灯を使って自分を探そうとしていたと説明した。しかし、ジョーンズが警察に報告した際のある報告書では、男は車から出てこなかったとジョーンズが証言したと記されている。
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