キプロスの繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「キプロスの繁栄」の解説
キプロス島も海の民の侵入を受けた。しかし、前12世紀中には復興して躍進したことが考古学的調査から明らかになっており、港町エンコミ (en) 、キティオンでは大掛かりな建築物が構築されるまでに至っていた。キプロスで採掘される銅は精錬され、エジプト、シリアへ送られていることも明らかになっている。 キプロス島はレヴァントと商業的、文化的に密接に結びついており、エンコミ、キティオンではオリエント的影響を受けた建築物、神殿の奉納物が発見され、また、キプロスで発見される土器もシリア、パレスチナのものが多い。このことからキプロス島とペリシテ人らのと間に密接な文化的つながりがあったことが以前より注目されており、このつながりが取引のネットワークと化し、前11世紀後半にはフェニキア人とペリシテ人らとの間で商業取引が行われたことが想像されている。
※この「キプロスの繁栄」の解説は、「前1200年のカタストロフ」の解説の一部です。
「キプロスの繁栄」を含む「前1200年のカタストロフ」の記事については、「前1200年のカタストロフ」の概要を参照ください。
- キプロスの繁栄のページへのリンク