カ・レッツォーニコの持ち主の遍歴
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宮殿は19世紀に持ち主が目まぐるしく変わる。19世紀初期にイエズス会の大学として使われていたが、相続の複雑さからPindemonte-Giovanelli家の手に渡る事になる。しかし1832年にPindemonte-Giovanelli家は宮殿や調度品などを一切売却してしまい、その後1837年にLadislao Zelinsky伯爵が手に入れる。1880年代にはイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの父である画家のRobert Barrett Browningが購入し、一時期アメリカの画家ジョン・シンガー・サージェントが1部屋を間借りしていた。その後Browningに対し1906年にヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)からLionello von Hierschel de Minerbi伯爵へ売却するよう依頼などもあったが、Browningはそれを無視しまた宮殿を芸術の拠点とするべく浪費を重ねたため、最終的にBrowningは破産してしまう。1920年代にはアメリカの作曲家・作詞家コール・ポーターが宮殿を月4000ドルで借りていた事もあった。コール・ポーターは50人もの給仕を雇ったり、「宮殿をより輝く色使いにしたい」という理由で綱渡りの曲芸の一団を雇ったりしていた。そして1935年に長い交渉の末、宮殿はヴェネツィアの持ち物となり、18世紀のヴェネツィア芸術のコレクションを展示する美術館となる事が決定した。その後数々の絵画や彫刻が集まり、ヴェネツィア屈指の美術館となっている。
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