カルロ・アツェリオ・チャンピとは? わかりやすく解説

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カルロ・アツェリオ・チャンピ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 23:49 UTC 版)

カルロ・アツェリオ・チャンピ
Carlo Azeglio Ciampi

カルロ・アツェリオ・チャンピ(1999年撮影)

任期 1999年5月18日2006年5月15日
首相 マッシモ・ダレマ
ジュリアーノ・アマート
シルヴィオ・ベルルスコーニ

任期 1993年4月28日1994年5月11日
大統領 オスカル・ルイージ・スカルファロ

出生 1920年12月9日
イタリア王国トスカーナ州リヴォルノ県
リヴォルノ
死去 (2016-09-16) 2016年9月16日(95歳没)
イタリアローマ
政党 無所属
配偶者 フランカ・チャンピ

カルロ・アツェッリョ・チャンピイタリア語: Carlo Azeglio Ciampi, イタリア語発音: [ˈkarlo adˈdzeʎʎo ˈtʃampi] ( 音声ファイル), 1920年12月9日 - 2016年9月16日)は、イタリア政治家銀行家

大統領(第10代)、首相(第73代)を歴任。

概要

1920年イタリア王国生まれ。1941年にイタリアを代表する最高学府ピサ高等師範学校文学を修め、1946年ピサ大学法学を修めた。同年に中央銀行であるイタリア銀行に就職し、1976年同行専務理事、1978年同行副総裁、1979年10月にはイタリア銀行総裁に任命され、1993年まで務めた。ドイツ・ライプツィヒ大学にも留学経験がある。

1993年4月から1994年5月までタンジェントポリ後の政界再編のさなか、第二次世界大戦後初めて非議員・無所属でありながらイタリア首相を務め、選挙制度改革・財政再建を果たした。その後、1996年5月からプローディ内閣とダレマ内閣で国庫相を務めた。そして1999年5月13日、イタリア大統領に選出され同月18日に大統領就任の宣誓を行った。イタリアヨーロッパ経済通貨同盟(EMU)第三段階(単一通貨ユーロの導入など)の第一陣に導いたのはチャンピの業績による所が大きい。

2016年夏頃よりローマ市内の病院に入院し、9月16日に95歳で死去した[1][2]

脚注

関連項目

先代
ジュリアーノ・アマト
首相(閣僚評議会議長)
第73代: 1993 - 1994
次代
シルヴィオ・ベルルスコーニ
先代
オスカル・L・スカルファロ
大統領
第10代: 1999 - 2006
次代
ジョルジョ・ナポリターノ




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