カルパティア方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:02 UTC 版)
「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「カルパティア方面」の解説
詳細は「バルカン戦線」を参照 1月上旬ブコビナ方面では、ロシア軍は約3個歩兵師団と2個騎兵師団をもってトランシルヴァニアに進攻したがオーストリア第7軍によって撃退された。カルパティア山脈方面では1月下旬よりドイツ、オーストリア軍が攻勢を開始し、2月上旬カルパティア主山脈を奪取して同月中旬主山脈の北方に進出した。これに対しロシア軍は頑強に抵抗し、プシェムィシル要塞の陥落によって浮いた兵力をカルパティア方面に転用することによって攻勢に転じた。ドイツ、オーストリア軍はオーストリア第2軍を送ってこれに対抗したが、4月初めには主山系の大半をロシア軍に占領されてしまう。ドイツ、オーストリア軍はますます兵力を増加させて4月中旬デュクラ峠(スロバキア語版、英語版)方面で攻勢に転じたが失敗に終わった。この間プランツェル軍はブコビナ方面で攻勢を継続してロシア軍左翼を脅かしたが、5月マッケンゼンのゴルリッツ=タルヌフ攻勢によってカルパティアの形勢は一変することとなった。
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