カメハメハ軍の装備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 00:32 UTC 版)
「カメハメハ1世」の記事における「カメハメハ軍の装備」の解説
1789年冬、アメリカ人メットカーフ親子が率いるエレアノラ号とフェアー・アメリカン号がハワイ島を訪問した際、トラブルにより100人余りの島民の命を奪う事件が起こった。これに恨みを持った首長カメイアイモクは、フェアー・アメリカン号を1790年3月3日に襲撃し、乗組員のアイザック・デービスを除く全員を殺害した。これを受けてエレアノラ号は乗組員ジョン・ヤングを調査に派遣したが、ヤングは捕縛されたため、やむをえずエレアノラ号はヤングを残して出航した。こうして、ハワイにデービスとヤングの二人が残された。カメイアイモクの振る舞いに激怒したカメハメハ1世は、すぐデービスとヤングを保護し、自分の軍事顧問として遇した。 それ以来カメハメハ1世は火器と火薬の調達にいそしみ、火器の使用法や管理法に習熟した白人の顧問を迎え入れた。1804年には、600挺のマスケット銃、14門の大砲、40門の旋回砲、6門の小型臼砲を保有するに至った。
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