カナダ側の合衆国侵攻計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 02:46 UTC 版)
「レッド計画」の記事における「カナダ側の合衆国侵攻計画」の解説
一方、1920年代にカナダ軍の将校ジェームズ・S・ブラウン大佐(James "Buster" Sutherland Brown)は防衛計画一号(Defence Scheme No. 1)と呼ばれるアメリカ侵攻計画を立てていた。バスター・ブラウンは「攻撃は最良の防御」と考え、「空飛ぶ縦隊」("flying air columns")と呼んだ空中戦力と地上戦力でシアトル・ポートランド・ミネアポリス・オールバニなどを同時に奇襲攻撃して占領し、メイン州および、エリー湖両端のナイアガラ半島とデトロイト周辺の橋頭堡を水上攻撃する計画であった。この侵攻軍によって占領を継続する力はカナダにはなく、侵攻の目的はイギリス連邦の盟友であるイギリスなどから支援を受ける時間を作るためであった。この計画は現実的でないと非難され、1931年に撤回されている。
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