カナダの収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 07:41 UTC 版)
第二次世界大戦では、主にヨーロッパ、ロシア西部、東南アジア、太平洋で戦われ、カナダに対する侵攻はなかった。カナダに送られたわずかな捕虜には、日本兵士とドイツ兵士が含まれていて、Uボートの捕虜、ディエップの戦いやノルマンディー上陸作戦といった奇襲攻撃の捕虜がいた。 ドイツ捕虜の収容所は日本捕虜の収容所より小さく、遥かに残忍ではなかった。ドイツの捕虜は一般的に十分な食料に恵まれていた。しかし、カナダの冬で生き残ることが最も困難なことだった。ほとんどの収容所が遥か北に隔離されていたので、これらの要素で亡くなったり病気になったりすることは珍しくなかった。 多くの収容所では、ほとんど監視されておらず、それゆえ、多くのドイツ捕虜が脱走を企てた。トンネル掘削が最もありふれた方法だった。en:Bowmanvilleの収容所から脱走したPeter Krugは、カモフラージュとして森を使いながら、何とか線路沿いを逃げた。トロントまで逃げて、その後、テキサス州に向かった。 戦闘(時には死に至るまで)は、収容所では、いくぶんかありふれたものだった。違反行為への懲罰は、絞首刑になる可能性があった。ドイツ捕虜は背中に大きな赤い点があるシャツを着ていたために、収容所の外でも容易に識別可能だった。ゆえに、脱走した者は簡単に見つかり、再び捕縛された。
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