オペラとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:24 UTC 版)
ローシー歌劇団のオペラ公演に惹かれた藤原は、新国劇を抜け浅草の弱小オペラ一座「アサヒ歌劇団」に入団。1918年(大正7年)には根岸歌劇団(金龍館)の一員にも潜り込むことに成功、浅草オペラ黄金期の頂点にあった金龍館の舞台に立つ。藤原は音楽教育を受けておらず、読譜もままならなかったが、日本人離れした舞台栄えする体躯もあり、また一座のプリマ・ドンナ的存在、6歳年上(実際は3歳年上)の安藤文子の溺愛も得て常に引き立てられていた。数々の舞台を経て、また安藤の熱心な指導もあり藤原の歌唱力は急速に向上する。なお安藤は藤原の最初の戸籍上の妻ともなる。
※この「オペラとの出会い」の解説は、「藤原義江」の解説の一部です。
「オペラとの出会い」を含む「藤原義江」の記事については、「藤原義江」の概要を参照ください。
- オペラとの出会いのページへのリンク