オデッサの戦い
オデッサの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:30 UTC 版)
「チェルヴォナ・ウクライナ (軽巡洋艦)」の記事における「オデッサの戦い」の解説
チェルヴォーナ・ウクライーナは、僚艦とともにオデッサへの支援作戦に参加することとなった。その目的は、敵に包囲攻撃されているオデッサへ増援部隊や武器弾薬、物資の補給を行い、必要に応じて艦砲射撃により陸上部隊への火力支援を行うことであった。 8月29日から9月1日にかけて、チェルヴォーナ・ウクライーナはオデッサの陸上部隊支援のため艦砲射撃を行った。10月2日には撤退作戦のためテンドラへ向けて出航し、3日12時53分、海兵隊を連れて帰還した。 10月にはオデッサからの撤退命令が下り、取り残された友軍や町の住民、物資の引き揚げに従事した。バシーストィイ大佐を首座とするオデッサ防衛地区参謀本部もチェルヴォーナ・ウクライーナ艦上へ移された。それ以降、チェルヴォーナ・ウクライーナからは全軍に対する指揮が出されるようになった。 10月6日にはオデッサへ向けて出航し、一昼夜ののち難民を乗せて帰還した。10月13日16時30分にはまたもオデッサに向かい、翌14日7時30分に到着した。10月15日には2度、敵に対する艦砲射撃を実施した。10月16日5時28分には、1164名の難民を乗せてセヴァストーポリへ向けて出航、その日の内に到着した。10月30日15時14分には撤退する軍部隊を回収するためタンドラへ向けて出航、翌31日3時に到着した。そして、部隊を乗せたのちセヴァストーポリへ出航、昼の内に到着した。
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