オジー・オズボーン(シャロン・オズボーン問題)とオーストラリア移住
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1988年にオジー・オズボーンに依頼され、アルバム『ノー・レスト・フォー・ザ・ウィケッド』では作詞とベースの演奏を担当、1991年にはまたオジー・オズボーンとアルバム『ノー・モア・ティアーズ』(1991年)を制作し、これまでで最高のヒット(アルバム・チャート最高位、アメリカ7位、イギリス10位)とするものの、この時期にオジー・オズボーンのマネージメントと問題が発生しその後クレジット問題で両者の裁判問題へと発展する。 1997年オーストラリア、シドニーに居を構えブルース・バンドザ・フーチー・クーチー・メンを結成してジョン・ロードとともにアルバムを発表するなどして音楽活動を行っている。しかし、2002年にオジー・オズボーンのマネージメント側による過去の作品の再リリースに際しベース・パートおよび作詞作曲クレジットが削除された為、自ら2003年7月にオジー・オズボーン・バンドの同僚リー・カースレイクとともに当時のメンバーでもあったドン・エイリーとギタリストにスティーヴ・モーズを招いてオジー・オズボーン時代に作った曲を演奏するリヴィング・ラウドを結成。オジーの声質に似たシンガージミー・バーンズを加えて演奏、アルバムにするなどして著作物権利の保護の主張を行っている。シャロン・オズボーンとのこの裁判は現在も係争中ながら、あえてライブ・ツアーを現在も続行中である。
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