オサムジムとの契約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 08:45 UTC 版)
オサムジムとの契約のねじれから、1997年11月18日に絶縁状を提出。また1998年度のJBCライセンスを更新せずに、JBCおよびジムに引退届けを出し、同年3月19日、カリフォルニア州でライセンスを取得しそれまでの西島洋介山からリングネームを西島洋介に変え試合を行ったため、ジムが3年ごとに自動更新されていたマネージメント権を主張しこれをJBCも支持しライセンス取得停止処分が下された。これにより西島は日本国内で試合を行うことができなくなった。前述試合後、カリフォルニア州のコミッションに対しJBCは西島の試合を許可しないよう要請する文書を送付。しかし同州は、マネージメント権の無効を主張し、ライセンス停止を行わなかった。 このねじれは、1997年にJBC未公認のWBF世界クルーザー級王座を返上するようJBCが指示し、返上しなければ国内での試合を認めずライセンスを剥奪すると発表、これに対し西島は拒否したがジム側が無断で返上を申し出たことが一因である。また、米国での活動を希望して、1997年12月20日に北九州市で予定されていた東洋太平洋タイトルのアイトニング・ルペとの防衛戦出場を拒否し、そのためタイトルを剥奪されたことなども、契約関係の問題から派生した。
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