エリザベス・レモンの存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:07 UTC 版)
「マックス・パーキンズ」の記事における「エリザベス・レモンの存在」の解説
パーキンズより8歳年下のエリザベス・レモンは彼が最も親しく思っていた友人で、2人は1922年4月に知り合った。これは、レモンが毎春の恒例にしていた北部州での逗留先に、プレインフィールドを選んだのがきっかけである。彼女はヴァージニア州とボルティモアにゆかりがある旧家の出身で、ボルティモアで社交界デビューした。 パーキンズはレモンの姿に強く惹かれたが、これは飽くまでプラトニックな崇敬の念であり、夫妻の仲を脅かすような不倫関係に陥ることはなかった。パーキンズはレモンを心のよりどころと感じつつも、自分とレモンが深い仲になることは自律した。2人はパーキンズが亡くなるまでの25年間文通を続けたが、その一方で彼がレモンの家を訪ねたのはわずかに2回であった。レモンが大切に保管していたパーキンズの手紙は、折々の心中を綴りつつレモンを賛美するもので、結果として唯一残された彼の手記となった(なおこの手紙は、後に書簡集としてまとめられている)。パーキンズは、妻ルイーズがカトリックに傾倒した時期など、家庭や仕事上で悩みの多い時期に、レモンと数多く文通した。レモンはヴァージニア州ミドルバーグ(英語版)に住み、生涯独身を通した。
※この「エリザベス・レモンの存在」の解説は、「マックス・パーキンズ」の解説の一部です。
「エリザベス・レモンの存在」を含む「マックス・パーキンズ」の記事については、「マックス・パーキンズ」の概要を参照ください。
- エリザベスレモンの存在のページへのリンク