エミール・ギメと山田忠澄・山田菊
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「兵法二天一流メモリアル」の記事における「エミール・ギメと山田忠澄・山田菊」の解説
エミール・ギメは1876年に来日し、京都府知事槇村正直や、元在長崎フランス領事で京都仏学校校長であったレオン・デュリーと出会った。ギメは京都仏学校で学ぶ日本人学生をリヨンに招聘し、後にリヨン総領事となる山田忠澄ら2名が選ばれ、マルティニエール学校(リヨン科学・工業技術学校)にて絹産業などの先進技術を学んだ。彼らは、1919年に日本を訪れたリヨン大学の学生たちと面会している。 山田忠澄は、1885年在リヨン日本領事館の領事となり、後の妻マルグリットと知りあう。1897年に2人の間にキク(山田菊)が生まれた。キクはエドガー・キネというリセで普通教育を受け、フランス文学を学んだ後、東京の聖心女子学院を卒業した。フランスに戻るとソルボンヌ大学で歴史と芸術を学び、文筆家として活躍した。キクの最初の小説「マサコ」や自伝的小説「神無月」(Le Mois sans dieux)は幾度も再版されている。
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