エフタルとの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 00:10 UTC 版)
バハラーム5世が東ローマ帝国との戦争に専念している間に、東方で繁栄していた都市のメルヴがエフタルによって占領された。このため、バハラーム5世はサーサーン朝領内への侵入を阻止するためにエフタルへ歳幣を送ることを余儀なくされていた。バハラーム5世は東ローマ帝国と和平を結ぶとエフタルに反撃するための準備を始めた。メルヴは豊かな都市であるだけでなく、中央アジアを通り、イランを経由してヨーロッパへと続くシルクロードの重要な交易拠点でもあった。 バハラーム5世はまもなくエフタルの領土に侵攻しメルヴを奪還。エフタルの支配者を殺害して多くの富を奪った。その後、彼はアムダリヤ川に記念碑を建立した。これはアムダリヤ川がサーサーン朝の東部の国境であることを示すものであった。427年までにサーサーン朝は東方領域を完全に確保し、ブハラの住民は模造したバハラーム5世の硬貨の鋳造を始めた。これはバハラーム5世が都市を征服したか、強い影響力を残したことを示している。 バハラーム5世は中央アジアでのサーサーン朝の支配を確実なものとするために、兄弟のナルセを東部地方の総督に任命し、首府をバルフに置いた。さらにアフラ・マズダーへの感謝を示すために、彼は戦利品の大部分をイランの三つの神聖な寺院の一つであるタフテ・ソレイマーンに寄進した。
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