ウラル越え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 02:07 UTC 版)
ヴォルガ川からカマ川を上りペルミ(1472年)へ、その後チュソヴァヤ川を上る。この付近のウラル山脈は標高350mで周囲の低地から150m高いだけである。タヴダ川とトゥラ川のいずれを下るにせよ、トボル川とエルティシ川の合流点にあるトボリスク(1582年)への上りは短い。トボリスクは、ペルミの700km東にあり、モスクワからは1800km東方にある。1598年には、ヴェルホトゥリエ(Верхоту́рье)がシベリアへの入口としてウラル山脈に設立された。これは、イェルマークによって使用されたルートとほぼ一致する。 1730年代に建設が開始されたシベリア横断道路は、ペルミから南東にクングル(Кунгур)へ向い、その後他の低い峠を越えてエカテリンブルク(1723年)およびトボリスクへ到達する。1885年にペルミからエカテリンブルクまでの鉄道が完成した。シベリア鉄道(1891年)の別の枝線は、ウラル山脈の南のチェリャビンスク(1736年)、オムスク(1716年)およびノボシビルスク(1893年)を通り抜ける。
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