ウィンナ・ワルツの創始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/27 04:17 UTC 版)
「ミヒャエル・パーマー」の記事における「ウィンナ・ワルツの創始」の解説
1814年から始まったウィーン会議において、ワルツはヨーロッパ中の貴族階級に広まった。しかし、当時のワルツは、伝統的なカドリーユのあとに多数の小さなワルツを繋げた作品で、延々と続くただのダンス音楽であった。 そのような中で、ウィーンの下町のダンスホール「シュペール(Sperl)」の指揮者であったパーマーは、世界で初めて「トゥーシュ(序奏)」と「コーダ」をワルツに採り入れた。それまでのワルツはウィーン郊外で庶民によって踊られるためのものであったが、パーマーのワルツからは、従前のものにはない優雅さや優美さがみられるようになった。この功績によって、パーマーはウィンナ・ワルツの創始者のひとりとされる。 なお、パーマーのワルツには四分の四拍子のものも多いが、これはコントルダンスの名残であると思われる。
※この「ウィンナ・ワルツの創始」の解説は、「ミヒャエル・パーマー」の解説の一部です。
「ウィンナ・ワルツの創始」を含む「ミヒャエル・パーマー」の記事については、「ミヒャエル・パーマー」の概要を参照ください。
- ウィンナ・ワルツの創始のページへのリンク