ウィレム5世、ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の宮廷に滞在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「ウィレム5世、ベルリンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の宮廷に滞在」の解説
ウィレム5世は1786年10月、プロイセンの首都ベルリンへ赴くべくネーデルラント連邦共和国の国土を後にした。彼はすでに書面で先代のプロイセン国王、フリードリヒ2世に支援を要請していたが、国王は勧告と助言を与えるのみで期待に反し、援軍を送ることはなかった。フリードリヒ2世は最期まで、パトリオッテンを支援していたフランスへの接近を望んでいたのである。また国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世も、フランスに対するこの「融和政策」の継続を希望していた。彼はイギリスとフランスの戦争へプロイセンが巻き込まれることに、国益を見出せなかった。とはいえ、フランスはアメリカ独立戦争の趨勢を決したばかりであった。プロイセンが介入した場合、ウィレム5世が政敵を厳罰に処し、それがネーデルラントの長期的安定に寄与しないことはフリードリヒ・ヴィルヘルム2世にも分かっていた。このようにウィレム5世の悪名は、プロイセン軍の名声まで台無しにしかねないものであった。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はウィレム5世を迎え入れたものの、心を翻すことはなかった。代わりにプロイセン国王は軍務大臣のエーヴァルト・フリードリヒ・フォン・ヘルツベルク(英語版)に、どうすれば連邦共和国の平和を回復できるか、フランス公使と協議するよう命じた。こうして彼は妹に対し、共和国の安定に尽くしていると主張できたのである。
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