ウィリアム・ハイド・ウォラストンとは? わかりやすく解説

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ウォラストン【William Hyde Wollaston】

読み方:うぉらすとん

[1766〜1828]英国化学者物理学者白金鉱石分析通して新元素パラジウム・ロジウムを発見また、可鍛性(かたんせい)白金製法考案し極細白金線(ウォラストン線)の作成成功するなど、多岐にわたる業績をあげた。


ウイリアム・ウォラストン

(ウィリアム・ハイド・ウォラストン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/13 23:45 UTC 版)

ウィリアム・ハイド・ウォラストン
生誕 1766年8月6日
イギリス ノーフォーク
死没 (1828-12-22) 1828年12月22日(62歳没)
研究分野 化学物理学天文学
主な受賞歴 コプリ・メダル(1802年)
ロイヤル・メダル(1828年)
プロジェクト:人物伝
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ウィリアム・ハイド・ウォラストンWilliam Hyde Wollaston [ˈwʊləstən]1766年8月6日- 1828年12月22日)は、イギリス化学者物理学者天文学者である。1803年にロジウムパラジウムを発見した。他に、1802年太陽光のスペクトルのなかに、太陽の元素により吸収されてできる暗線(フラウンホーファー線)のあることを見出した。プラチナの精製法も開発した。

生涯・人物

ノーフォークのイーストドレアムに聖職者の息子として生まれた。イギリスケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで薬学をまなび、一時開業医となるが、1800年からは開発したプラチナの精製法による器具の販売の収入で、科学の研究に専念した。

プラチナの鉱石で処理し、不純物を除去した後、粉末冶金法に似た方法で展性のあるプラチナ金属を精製した。プラチナ鉱石からパラジウムとロジウムを分離した。パラジウムは、1802年に発見された小惑星パラスから命名された。ロジウムはロジウムのつくる塩がばら(ローズ)色であることから命名された。

1809年タンタルニオブを同じ元素と見なし、統合したが、後に誤りと判明した。

太陽スペクトルの研究、木星の観測などの天文学的活動のほか、光学装置ではカメラ・ルシダを発明し、ウォラストン・プリズムにも名前を残している。晩年は電気モータの研究も行っている。

1793年から王立協会の会員となり、同協会から1802年以後数回にわたりベーカリアン・メダルを受賞し、それぞれ記念講演を行った。また1802年にコプリ・メダル、1809年クルーニアン・メダル、1828年ロイヤル・メダルを受賞、また1820年には会長に選ばれた[1]

生前には地質学との関わりはほとんどなかったが、遺言によって優れた業績をあげた地質学者を顕彰する「ウォラストン・メダル」が創設されている。

チリ最南部のウォラストン諸島は、彼の名に因んでつけられた。

出典

  1. ^ "Wollaston; William Hyde (1766 - 1828)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧

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