イスラーム入信とシリア征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 15:14 UTC 版)
「アムル・イブン・アル=アース」の記事における「イスラーム入信とシリア征服」の解説
クライシュ族のサフム家出身。娼婦の子という伝説もある。イスラーム最初期にはメッカの多くの指導者たちとともに反イスラーム陣営に身を置き、625年のウフドの戦いではクライシュ軍に参加している。しかし629年6月、アムルはイスラームに改宗した。 預言者ムハンマドの死後、リッダ戦争(英語版)で活躍。さらに634年4月にはヤジード・イブン=アビー・スフヤーン(英語版)、シュラフビール・イブン=ハサナ(英語版)とともにシリア遠征軍の司令官とされ、パレスティナ地方の征服を命じられた。イスラーム軍はシリアへ侵攻したが、これを阻止するため東ローマ帝国の大軍が現れた。そこでイスラーム側諸将はカリフのアブー・バクルに援軍を求め、イラク戦線から派遣されたハーリド・イブン=アル=ワリードの指揮のもと、ヤルムークの戦いで東ローマ軍を破ることに成功した。その後、新たにシリア派遣軍総司令官となったアブー・ウバイダの指揮のもと、フェヘルの戦いで再び東ローマ軍を破り、さらにヨルダン・パレスティナ地方の征服をすすめ、638年にはエルサレムを包囲・降伏させている。
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