イスラエル空軍の待ち伏せ攻撃
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「9月13日の航空戦 (1973年)」の記事における「イスラエル空軍の待ち伏せ攻撃」の解説
RF-4偵察機を追跡するシリア空軍のMiG-21戦闘機に対して、ラタキア沖で待ち構えていたF-4E戦闘機編隊が接敵し、シュルモ・エゴジ(ヘブライ語版)のF-4E戦闘機が空対空ミサイルでMiG-21戦闘機1機を撃墜、イフタク・スペクターのF-4E戦闘機も空対空ミサイル2発を発射し、2機のMiG-21戦闘機を撃墜した。さらにロッシュ・ハニクラ沖のミラージュIII戦闘機4機もMiG-21戦闘機を射程に捉えると交戦を開始、イスラエル・ハバラフ(ヘブライ語版)のミラージュIII戦闘機が空対空ミサイル2発を発射して1機撃墜、さらに30mm機関砲で1機撃墜した。アブラハム・シャルモン(ヘブライ語版)のミラージュIII戦闘機も空対空ミサイルで1機撃墜した。交戦中、ミラージュIII戦闘機1機が損傷して燃料漏れを起こしたため、イスラエル北部のラマト・ダヴィド空軍基地に着陸した。 ベイルート沖で待機中だった第117飛行隊のミラージュIII戦闘機4機は、北方から複数のシリア空軍機の接近が報告されると編隊を分割し、イェフダ・コレン(ヘブライ語版)とヨッシ・シモニ機が迎撃に向かい、8機のMiG-21戦闘機と交戦した。撃墜機はなかったが、残燃料が不足したことからミラージュIII戦闘機2機は南方へ離脱、基地への帰投コースを取った。しかし、ヨッシ・シモニ機がMiG-21戦闘機からの攻撃を受けてタルトゥース沖に墜落、ヨッシ・シモニは緊急脱出した。
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