アロウズからTWRへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 15:03 UTC 版)
「ロス・ブラウン」の記事における「アロウズからTWRへ」の解説
1987年にアロウズに移籍。ブラウンが設計し、メガトロンエンジン(実質前年と同様のBMW)を載せたA10・A10Bは、1988年のコンストラクターズランキングで4位を得る成績を残し、ターボが禁止された1989年のA11では空力を意識したアグレッシブな設計と安定した走りを両立させた。フットワークのスポンサードが始まる1990年シーズンを前に、ブラウンはアロウズを離脱した。 同年、世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) に参戦していたトム・ウォーキンショー率いるTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)に移籍。エンジンレギュレーションが大幅に変更された1991年のスポーツカー世界選手権 (SWC) に参戦するジャガー・XJR-14のデザインを手がけた。F1での経験が設計に遺憾なく発揮されたシャーシと、この年F1でベネトンに供給されたのと同じフォード・コスワース・HBエンジンというパッケージは強力で、レギュレーション対応に追われるメルセデスなど大ワークスチームを尻目に、TWRとジャガーは同年のSWCシリーズチャンピオンを獲得した。
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