アルベルト・ディ・ジュッサーノ (軽巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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アルベルト・ディ・ジュッサーノ (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 06:26 UTC 版)

基本情報
艦歴
起工 1928年3月29日
進水 1930年4月27日
就役 1931年2月5日
その後 1941年12月13日戦没
要目
基準排水量 5,191トン
全長 169.3 m
最大幅 15.5 m
吃水 5.3 m
最大速力 37ノット (67 km/h)
乗員 507名
兵装 53口径15.2cm連装砲4基
連装魚雷発射管2基
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アルベルト・ディ・ジュッサーノ (Alberto di Giussano) はイタリア海軍軽巡洋艦アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦の1番艦で、ジェノヴァアンサルド社で建造され1931年に竣工、第二次世界大戦で戦没した。

艦歴

1928年3月29日起工。 1930年4月27日進水。1931年2月5日竣工。

1940年7月9日、戦艦「コンテ・ディ・カブール」、「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」などとカラブリア沖海戦に参加した。

8月にはパンテレリア島沖で機雷を敷設した。その後は北アフリカへの輸送船団の支援に当たっていた。

1941年12月9日夕方、「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」は「アルベリコ・ダ・バルビアーノ」と北アフリカのドイツ軍への補給のためにパレルモを出撃した。だが、シチリア島トラーパニ沖でイギリス軍機に発見され攻撃を受けたため、2隻はパレルモへと引き返した。

12月12日夕方、ガソリンなどの物資を搭載した2隻は護衛の水雷艇「チーニョ」と再度出撃したがまたしてもイギリス軍機に発見されてしまう。これにより約1時間の遅れが生じイギリス艦隊に捕捉されてしまうこととなった。13日3時20分過ぎ、2隻はイギリス駆逐艦「シーク」、「マオリ」、「リージョン」、オランダ駆逐艦「イサーク・スウェールズ」の奇襲を受ける。3本の魚雷が命中した「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」は沈没。また「アルベリコ・ダ・バルビアーノ」も撃沈された。この戦闘はボン岬沖海戦という。




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