アルフレド・パラシオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 04:16 UTC 版)
アルフレド・パラシオ Luis Alfredo Palacio González |
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アルフレド・パラシオ
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任期 | 2005年4月20日 – 2007年1月15日 |
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副大統領 | アレハンドロ・セラーノ |
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任期 | 2003年1月15日 – 2005年4月20日 |
大統領 | ルシオ・グティエレス |
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任期 | 1994年11月10日 – 1996年8月10日 |
大統領 | シクスト・ドゥラン=バゲン |
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出生 | 1939年1月22日![]() |
死去 | 2025年5月22日(86歳没) |
政党 | 無所属 |
出身校 | ケース・ウェスタン・リザーブ大学 グアヤキル大学 |
配偶者 | マリア・ベアトリス・パレット |
子女 | アナ・パラシオ・パレット リンカ・パラシオ・パレット アルフレド・パラシオ・パレット カローラ・パラシオ・パレット |
宗教 | キリスト教カトリック |
ルイス・アルフレド・パラシオ・ゴンサレス(スペイン語: Luis Alfredo Palacio González、1939年1月22日 - 2025年5月22日)は、エクアドルの政治家、心臓医学者、医師。大統領、副大統領などを歴任した。
略歴
グアヤキル出身。グアヤキルと、アメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドにあるケース・ウェスタン・リザーブ大学、ミズーリ州セントルイスで心臓医学を学んだのち、グアヤキル大学医学部で心臓医学や公衆衛生を教えた。
2002年の大統領選でルシオ・グティエレスから副大統領候補に指名され、当選したことにより2003年1月15日に副大統領に就任。2005年4月20日にグティエレスが政治危機により失脚すると副大統領のパラシオが大統領に昇格し、混乱の只中にある国政を担うこととなった[1]。経済相には経済学者であるラファエル・コレアを起用したが次第にパラシオと左派であるコレアの路線対立が鮮明化し、ほどなくしてコレアは辞任せざるを得なくなった[2]。2006年の大統領選挙でコレアが当選し、2007年1月15日に就任したことでパラシオは大統領を退任した。
2025年5月22日に死去。86歳没[3]。
脚注
- ^ “Muere el expresidente de Ecuador Alfredo Palacio, quien asumió el poder en 2005 tras un golpe de Estado”. CNN. (2025年5月22日) 2025年5月23日閲覧。
- ^ チャールズ・マッケルベイ. “About Rafael Correa”. Global Learning. 2025年5月23日閲覧。
- ^ “Falleció el expresidente Alfredo Palacio, médico y exmandatario ecuatoriano, a los 86 años” (スペイン語). Confirmado (2025年5月22日). 2025年5月22日閲覧。
外部リンク
- Presidencia de la República – Presidente 大統領としての伝記
- BBC Mundo | América Latina | ¿Quién es Alfredo Palacio? (BBC News)
- Ecuador's Balancing Act: Palacio, the People and the IMF 半球事務評議会
公職 | ||
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先代 ルシオ・グティエレス |
![]() 第54代:2005 - 2007 |
次代 ラファエル・コレア |
固有名詞の分類
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