アルバ・ロンガとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 07:56 UTC 版)
「ホラティウス三兄弟」の記事における「アルバ・ロンガとの戦い」の解説
平和路線を採ったローマの二代目ヌマ・ポンピリウス王の死後、トゥッルス・ホスティリウスが王位に就くと、俄にローマとアルバ・ロンガとの対立が深まった。しかしながらエトルリアの脅威を考慮し、双方が兵を失わずに済む勇士同士の決闘で決着をつける事となった。丁度両陣営に年格好も同じくらいの三兄弟がおり、ローマではホラティウス一族の兄弟が、アルバ・ロンガからはクリアトゥス家の兄弟が選ばれ決闘をする事となった。 決闘では当初、クリアトゥス兄弟の全員が負傷したものの、ホラティウス兄弟は二人斃れてしまい、一人無傷であったホラティウスの最後の一人(以下単に「ホラティウス」とする)は、相手を分断するために逃げ出した。クリアトゥス兄弟はそれを追ったが、それぞれ負傷の度合いが違うために3人が離れていってしまい、結局ホラティウスによって各個撃破され、ローマ側の逆転勝利となった。
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