アルシャバブとの連携、分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:47 UTC 版)
「ラスカンボニ軍」の記事における「アルシャバブとの連携、分裂」の解説
2010年2月、ラスカンボニ旅団の指導者トゥルキーは、ヒズブル・イスラムを脱退、アルシャバブと和解し、キスマユをアルシャバブと共同統治することにした。ただしヒズブル・イスラムのリーダーアウェイスは、脱退したのはトゥルキーとその取り巻きだけであり、ラスカンボニ旅団の主体はヒズブル・イスラムに留まっている旨と発表する。ラスカンボニ旅団でヒズブル・イスラム残留組の筆頭がアフメド・モハメド・イスラム(英語版)(通称マドベ)だった。以後、ラスカンボニ軍と言えば、マドベが率いる一軍を指すようになり、名称も「ラスカンボニ運動」と呼ばれるようになった。 2010年4月、マドベ率いるラスカンボニ軍の一派がヒズブル・イスラムを脱退したと報じられた。5月19日にはラスカンボニ軍自身により、ヒズブル・イスラム脱退とソマリア暫定連邦政府への参加が正式に表明された。その時、ラスカンボニ軍はキスマヨ北西の町、ドブレイ(英語版)[要リンク修正][要曖昧さ回避]の付近にあり、翌5月20日にはソマリア政府軍と共同してアルシャバブからドブレイを占拠した。 以後もラスカンボニ軍は独立した軍閥であり続けるが、報道では「ソマリア政府軍」として扱われることが多くなる。2011年10月、ラスカンボニ軍はソマリア政府軍と共同して、アルシャバブが支配するソマリア南西の町アフマドゥを占拠し、アルシャバブからのキスマヨの奪還を予告する。もっとも、この時はまだ一進一退であり、11月にはアルシャバブにドブレイ取り返されている。2012年2月、ラスカンボニ軍はバダデ(Badhadhe)を占拠。 9月17日にはキスマヨの西60kmにあるビルタ・デール(Birta Dheer)を占拠した。9月28日にアルシャバブはキスマヨから撤退し、ソマリア政府軍(ラスカンボニ軍を含む)、さらに協力者のケニア軍がキスマヨを占拠した。その後は多少混乱があったが、ソマリア政府軍のキスマヨ統治が確定した。そして、ラスカンボニ軍の指導者マドベがキスマヨの政治指導者となった。
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