アプト式蒸気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:52 UTC 版)
「日本の蒸気機関車史」の記事における「アプト式蒸気機関車」の解説
関東と日本海側を結ぶルートとして信越線の建設を進めていたが、 横川~軽井沢町は約10kmの距離で標高差が552mの急峻な地形のため、路線の選定に苦心し、窮余の隙して導入されたのが、ドイツのハルツ山鉄道で1885年に開業していたラックによるアプト式蒸気機関車による方式で、67%勾配のルートを採用した。そのため機材はドイツより輸入し、93年開業時に投入されたのが、本州で最初のドイツ機のエスリンゲン社製アプト式3900形で、1908年に3両追加した。トンネルが26も介在して特に運転室は乗務員が煤煙と熱気に悩まされ、 蒸気機関車の整備保守も複雑な機構のため容易でなかった。 当時の信越線は関東地域と日本海側を結ぶ唯一の路線で、ドイツ機のほかに後にイギリス12両(ピーコック社製)と国産機6両(汽車製)が加わって25両が就役したが、小単位と低速の輸送力では間もなく行き詰まり、打開策として本区間は我が国最初の電化に選ばれ、アプト式蒸気機関車は17年の運転で1910年に後継の電気機関車に使命を譲った。
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