アハティサーリ特使による仲介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 13:45 UTC 版)
「コソボ地位問題」の記事における「アハティサーリ特使による仲介」の解説
2004年、遅々として進まない水準履行に不満を持っていたアルバニア系住民により大規模な暴動が発生した。治安維持軍を派遣している西側諸国は地位の早期確定の必要性を認識し、地位問題が加速した。2005年、元フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリが国際連合コソボ特別大使に任命され、同特使は、ウィーンに国際連合コソボ特別大使事務所(UN Office of the Special Envoy for Kosovo; UNOSEK)を設置した。アハティサーリらは2006年中の地位確定を目指して、米露英独仏伊6ヶ国からなる連絡調整グループ(CG)の下、包括的解決案の取りまとめを開始した。その後、セルビアの憲法改正、議会選挙の影響で包括的解決案の提示は2007年にずれこんだ。 2007年2月2日、アハティサーリ国連特使は、セルビアの首都ベオグラードでセルビアの大統領タディッチに包括的解決案を提示した。同案では、「民主的に自由統治」し、独自憲法、治安部隊(コソボ治安軍)を持ち、国際条約を締結できるほか、国際機関への加盟も認めるという、名目上は独立承認ではないが事実上は国際社会の監督下での事実上の独立を示す内容のものであった。しかし、タディッチは仲介案を拒否し、コソボ地位交渉は国際連合安全保障理事会に場を移すこととなった。
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